大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)898号 判決 1981年2月23日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 桜井和人

被告 国

右代表者法務大臣 奥野誠亮

右指定代理人 岩田栄一

<ほか三名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五三年一〇月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和二二年一〇月二日、かつて訴外乙山春夫の所有であった別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を旧自作農創設特別措置法(以下単に「自創法」という。)一六条に基づき政府から売渡を受け、昭和二五年一月二八日、その旨の登記を了した。

2  しかるに、本件土地には、右同日以降昭和五〇年一〇月一七日に至るまでの間、訴外乙山松夫(乙山春夫の被相続人)名義の所有権登記が二重に存在した。

3(一)  本件土地について二重登記が生じた理由は、本件土地には、乙山松夫名義の所有権登記が、すでに存在していたのであるから、自創法に基づき原告への売渡がなされる場合、登記官は、埼玉県知事の嘱託によって一旦政府買収の登記をなした後、右乙山松夫名義の本件土地の登記用紙を閉鎖すべきであったところ、知事が本件土地を未登記であると誤信してその買受人である原告名義の所有権保存登記の嘱託だけをなし、登記官もこれをそのまま受理して登記をなしたことによるものである。

(二) ところで、知事の行う右登記の嘱託は、法務大臣の指揮監督のもとに、知事が、国の機関としてその事務を処理するものであったが、一般に、土地が未登記であることは農村部にあっては、ほとんどあり得ないし、仮にそのようなことがあったとしても、知事は、本件土地の登記簿原本を調査すれば、本件土地が、既登記であったことは容易に知り得た筈であるから、知事が本件土地を未登記と誤信したことには過失がある。

又登記官は、本件土地が、既登記であったのであるから、知事の原告名義への保存登記の嘱託を受理したときは、これを却下し(不動産登記法四九条二号)たうえ、知事と緊密な連携をとって前記のとおり、本件土地についての買収登記、登記用紙の閉鎖、売渡登記の各嘱託又は申出を受け、二重登記の発生を避けるとともに、二重登記が生じてしまった後は、速やかにこれを解消すべき義務があるのにこれを怠ったばかりか、永年二重登記の状態を放置したのであるから、本件土地の二重登記の発生及び存続には、登記官にも過失がある。

4(一)  右二重登記は、昭和五〇年一〇月一七日に至ってようやく乙山松夫名義の登記用紙が閉鎖され、解消したが、その間、原告は、右二重登記が存在したため、昭和三七年には、本件土地に抵当権を設定して農業協同組合から営農資金を借り入れようとしたところ、これを拒否され、昭和四三年七月には、原告の二男甲野二郎と乙山松夫の曽孫乙山竹夫との間で、本件土地の所有権の帰属をめぐって殴り合いの紛争が生じたほか、原告は、本件土地の二重登記が判明した昭和三七年ころから、原告自ら、あるいは、同人の知人である訴外丙川夏夫に委任して、右乙山松夫名義の登記を抹消するべく、本件土地所在の荒川村役場、本件土地を管轄する登記所(浦和地方法務局秩父支局)、埼玉県庁、法務省等に繰り返し赴いて調査、折衝を行った。

(二) 右のとおり、原告は、本件土地の二重登記によって多大の精神的苦痛を被ったが、これを慰謝するには金五〇万円をもって相当とする。

5  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、右損害金五〇万円と訴状送達の日の翌日である昭和五三年一〇月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実につき、(一)は認めるが、(二)は争う。

本件土地の二重登記は、知事が、本件土地を政府買収の当時、未登記であると誤信して登記嘱託をなした結果生じたものであるが知事の職掌上右知事の誤信に直ちに過失があったものとはいえないし又同一の不動産について所有者名義を異にして二重の所有権保存登記がなされた場合には、その各登記のうち、実体に符合しない登記が無効とされるべきであるが、登記事項について形式的審査権限しか有しない登記官は、二つの登記のいずれが無効であるかを職権をもって判断できないので、右いずれの登記も抹消できず、本件土地については、いずれかの登記名義人の抹消登記の申請もしくは買収登記の嘱託者である知事の買収登記の嘱託及び登記用紙閉鎖の申出によらざるを得なかったところ、結局、本件土地の二重登記は、知事の右登記嘱託及び登記用紙閉鎖の申出によって解消されたものである。

したがって、本件土地の二重登記の発生及び存続について知事及び登記官に過失はない。

4  同4の事実につき、(一)のうち、本件土地の二重登記が昭和五〇年一〇月一七日、乙山松夫名義の所有権登記用紙閉鎖によって解消されたこと及び昭和五〇年夏ごろ丙川夏夫が浦和地方法務局秩父支局を訪れたことは認めるが、昭和四三年七月、原告の二男甲野二郎と乙山松夫の曽孫乙山竹夫との間に本件土地の所有権の帰属をめぐって殴り合いの紛争が生じたとの点は否認する。その余は知らない。甲野二郎は、昭和四三年当時埼玉県秩父市内に居住していた。(二)は争う。本件土地は、一定の期間二重登記の状態にあったとはいえ、原告名義の保存登記がなされ、具体的に原告の所有権あるいは占有権が侵害されたこともないうえに、昭和五〇年には右二重登記も解消されたものであるから、原告には、現実に財産上の損害が全く生じていないし、原告に二重登記の解消だけでは到底償えないほどの精神的苦痛を被ったと認められるような特段の事情もない。

第三証拠《省略》

理由

一  本件土地は、もと、訴外乙山春夫の所有であったが、原告は、昭和二二年一〇月二日、自創法一六条に基づき政府から売渡を受け、昭和二五年一月二八日その旨の登記を了したこと、しかし、本件土地には、右同日以降も乙山春夫の被相続人である乙山松夫名義の所有権登記が存続し、昭和五〇年一〇月一七日に至って、右乙山松夫名義の登記用紙が閉鎖され、二重登記が解消されたこと、右二重登記が生じた理由は、埼玉県知事が本件土地の買収及び売渡にともなう登記嘱託を行うにあたって、本件土地を未登記の土地であると誤信して、登記官に対し、原告名義の保存登記を嘱託し、かつ買収の登記の嘱託、既存の乙山松夫名義の登記用紙の閉鎖を申し出ず、登記官も知事の右嘱託をそのまま受理して登記をなしたことによるものであること、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

又自創法によれば、同法三条及び一六条に基づく農地の買収あるいは売渡がなされる場合の登記は、昭和二三年六月一一日政令第一三〇号旧自作農創設特別措置登記令(以下単に「登記令」という。)に基づき、都道府県知事が職権で嘱託する(なお、知事は、自創法一六条により売り渡すべき土地で政府の所有権の登記のあるものの登記用紙の閉鎖を申し出ることができた。)ことになっており(自創法四四条、登記令一条、三条、一四条)、知事の右登記嘱託は、国の機関委任事務として主務大臣の指揮監督のもとになされることになっていた(地方自治法一四八条一項、一五〇条、国家行政組織法一五条)ことは明らかである。

二  そこで、本件土地に関する右二重登記の発生及び存続について埼玉県知事、登記官に過失があったか否かをみるに、本件土地を政府が買収した当時、すでに登記済であった(このことは当事者間に争いのない)のであるところ登記令によれば、既登記の土地の場合と未登記の土地の場合とでは登記嘱託申出の内容が異なる(登記令一四条、一九条の二)のであるから、知事はまず、本件土地が既登記の土地であるか否かを正確に調査し、これに適合したそれぞれの登記嘱託の申出をすべきであり、登記簿を調査し又は調査させることによって既登記の土地か否かを判別することができたのであるから、本件登記の嘱託に当り何らかの理由で本件土地を未登記と誤信して登記嘱託をし又は敢て保存登記の嘱託をしながら既登記の用紙の閉鎖の申立をしなかった知事には右調査等の職務上の注意を尽さなかった過失があったものと推認される。

しかしながら、他方登記官については、本件土地の原告への売渡登記が、右のとおり知事の嘱託に基づいてなされ、しかも、《証拠省略》によれば、右登記のなされた昭和二五年当時、本件土地の管轄登記所である浦和地方法務局秩父支局においては、土地の登記用紙が、地番ごとにではなく登記のなされた順序に従って編綴されていたうえに同支局管内の土地の筆数も膨大な数であったこと、自創法によって、昭和二二年以降買収、売渡がなされた農地は、夥しい数にのぼり、従って、それにともなう登記事務量も一定期間著しく増加するという特別な状況下にあったこと(もっとも、本件土地の原告への売渡登記後、登記制度の改正により同支局の土地登記簿も、各土地の地番ごとに改編され、その際、本件土地について二重登記がなされた疑いのあることが判明したこと)が認められ、右事実に、登記官には、法律上登記事項の実質的審査権限がないと解され本件のような所有名義人を異にする二重登記を生じた場合登記上の経過からみて明白な場合以外は職権により直ちに抹消することができないものと考えられることを合わせ考慮すると、本件土地について、原告名義の保存登記申請の際すでに乙山松夫名義の登記が存在することは登記官の通常の職務上の注意義務を尽くしたとしても容易に発見し得ず、このための特別の意図をもった職務上の注意義務をもって照会調査しない限り極めて困難であったとみられるから、本件土地の登記について知事の嘱託をそのまま受理し本件土地を未登記の土地として保存登記し、二重登記の状態を生じさせ、且つ前記改編の際二重登記の疑のあることが判明したままいずれも抹消させることなく前記知事の登記用紙の閉鎖申出による乙山松夫名義の登記用紙の閉鎖時まで存続させたとしても、直ちにその点に過失があったとはいえない、というべきである。

三  そこで、更に知事の過失によって生じた本件土地の二重登記によって原告の利益が違法に侵害され損害が生じたか否かについて検討する。

《証拠省略》によれば、原告は昭和四〇年ころ、本件土地の二重登記に気付いた後、原告自らあるいは原告の知人である丙川夏夫に依頼して右二重登記の解消を図るべく、本件土地の所在地の荒川村役場、浦和地方法務局秩父支局、埼玉県庁、法務省等へ赴き、その問合せ等を行なったことはあるが、それ以上に追及はしなかったところ、昭和五〇年八月八日になって法務大臣を被告として本件土地の乙山松夫名義の登記抹消及び右二重登記によって被ったとする損害の賠償を求めて東京地方裁判所に訴(原告不出頭のため棄却されたが、そもそも被告を誤った訴であったこと)を提起し、その後間もない同年同月下旬ころ、丙川夏夫は、浦和地方法務局秩父支局を尋ね当時の同支局長石坂文吉に対し、乙山松夫名義の登記の抹消を要請するとともに、右訴訟の第一回口頭弁論期日の呼出状の送達されたころの同年一〇月三日、右支局長宛に右要請に対する支局長の検討結果の回答を求める内容証明郵便を発送するなどして同年八月以降、右二重登記解消のための本格的な調査折衝にあたっていること、しかして、丙川夏夫から同年八月下旬ころ初めて本件土地の二重登記の解消について検討方を依頼された右支局長石坂文吉は、その際、同人に対し、本件土地の二つの登記簿上の所有者名義が異なっているので、登記官の判断で直ちに一方の登記を抹消することはできない等の説明をして二重登記是正の検討方を約し、同年一〇九日、荒川村農業委員会長に対し、乙山松夫名義の本件土地が自創法によって政府に買収された土地であるか否かの照会をしたところ、同年同月一七日、埼玉県知事から、本件土地について、昭和二二年一〇月二日、自創法三条の規定による買収の登記の嘱託及び右乙山松夫名義の登記用紙閉鎖の申出があり、登記官は、昭和五〇年一〇月一七日右登記をなしたうえ、同登記用紙を閉鎖し、右支局長は、同月二三日付で丙川夏夫に対し、その旨を通知したこと。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》以上のように原告は本件違法な二重登記抹消のために諸官庁との折衝を余儀なくさせられたものと一応認められる。

なお、原告は、昭和四三年七月、原告の二男甲野二郎と乙山松夫の曽孫乙山竹夫との間で本件土地の所有権の帰属をめぐって殴り合いの紛争が生じたし、昭和三七年ころ、原告は、本件土地に抵当権を設定して農業協同組合から営農資金を借り受けようとしたところ、本件土地が二重登記の土地であったために抵当権の設定ができず、右貸付を拒否されたと主張し、証人丙川夏夫の証言にはこれに符合する部分があるが、右証言中、前者に関する部分は《証拠省略》に照らし容易に信用できないし、抵当権の設定による貸付を拒否されたのが、本件二重登記の存在を理由とするものであったとの証言部分もにわかに措信しがたい。しかしながら、知事が本件土地を未登記と誤信して保存登記嘱託をしたため二重登記の状態が発生したからといって、そのために原告の本件土地の所有権が危殆に陥ったこと又はこれに基づく使用収益が妨げられたこともしくは原告の自由、名誉等の人格権が侵害されたとは認め難く、右二重登記の解消のために煩瑣な調査や折衝を余儀なくされたことについても前記のように昭和五〇年の折衝の結果すみやかにその解消がなされているのであるから、右によって生じた心労をもって社会生活上の受忍限度を超えたものとして賠償を受けるべき精神的損害とは認め難い(右調査折衝のためには交通費その他の若干の費用の支出を伴ったことは容易に推定されるが(その請求はされておらず、その額も不明である)、これに伴う精神的苦痛については、これを金銭に評価するに足るものとは直ちに認め難い。)そうすると、その余の点について触れるまでもなく原告の請求は理由がない。

四  以上の次第で、原告の請求は理由がないから、これを棄却し訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊卓哉 裁判官 野田武明 友田和昭)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例